五十澤二郎の論語 ― 2009年07月18日 08:51:16
とある偶然から、五十澤二郎と言う人の存在を知った。
五十澤二郎著、東方古典叢刊第六巻論語、竹村書房発行。
この本が、ある人に中国古典への目を開かせた。
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五十澤論語をひもといて私ははじめて中国古典の本当の読み方を教えられ、たちまちその魅力にとりつかれたのであった。有名な論語開巻へき頭の章句「学んで時に習う、またよろこばしからずや。友あり遠方より来る、また楽しからずや。人知らずしてうらまず、また君子ならずや。」は次のように訳されていた。
「自分で自分を知るということのうちに、よろこびがある。またひとが知ってくれて、はるかに心をよせてくれるということもよろこびである。
が、誰も知ってくれなくとも不足に思わない人間は、いちばん大きなよろこびを知る人間である。」
この例示だけでも五十澤訳がいかに素晴らしいものであるかが
うかがえると思う。
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スゴイ。
ただの逐一訳ではなく、まさに意訳、超意訳。
1933年に2円で発売された110ページの本であるが、いまはもう手に入らない。
日本の出版業界では、本を発行時点で入手しないと、手に入らなくなってしまうのだ。
ネット検索で五十澤二郎の事を書いているブログを見つけましたので、紹介します。
http://d.hatena.ne.jp/kuz-akichi/20070616
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五十澤二郎著、東方古典叢刊第六巻論語、竹村書房発行。
この本が、ある人に中国古典への目を開かせた。
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五十澤論語をひもといて私ははじめて中国古典の本当の読み方を教えられ、たちまちその魅力にとりつかれたのであった。有名な論語開巻へき頭の章句「学んで時に習う、またよろこばしからずや。友あり遠方より来る、また楽しからずや。人知らずしてうらまず、また君子ならずや。」は次のように訳されていた。
「自分で自分を知るということのうちに、よろこびがある。またひとが知ってくれて、はるかに心をよせてくれるということもよろこびである。
が、誰も知ってくれなくとも不足に思わない人間は、いちばん大きなよろこびを知る人間である。」
この例示だけでも五十澤訳がいかに素晴らしいものであるかが
うかがえると思う。
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スゴイ。
ただの逐一訳ではなく、まさに意訳、超意訳。
1933年に2円で発売された110ページの本であるが、いまはもう手に入らない。
日本の出版業界では、本を発行時点で入手しないと、手に入らなくなってしまうのだ。
ネット検索で五十澤二郎の事を書いているブログを見つけましたので、紹介します。
http://d.hatena.ne.jp/kuz-akichi/20070616
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